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      <title>前川ブログ</title>
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      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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         <title>遼</title>
         <description><![CDATA[太祖耶律阿保機は西はモンゴル高原東部のモンゴル族を攻め、東は渤海を滅ぼして、満州からモンゴル高原東部までに及ぶ帝国を作り上げた。更に二代目耶律徳光は五代の後晋から華北の北京・大同近辺（燕雲十六州）の割譲を受ける。この時に渤海旧領とあわせて多くの農耕を主とする定住民を抱えることになった。このため、遼はモンゴル高原の遊牧民統治機構（北面官）と中国式の定住民統治機構（南面官）を持つ二元的な国制を発展させ、最初の征服王朝と評価されている。都は上京臨潢府（現在の内モンゴル自治区巴林左旗の南、巴林左旗は内モンゴル自治区南部の都市赤峰市から北上した大興安嶺山脈の麓にある。潢はさんずいに黄。）に置かれた。

宋の太宗は燕雲十六州の奪還をもくろんで、北伐軍を起こしたが、遼は撃退した。しかし遼のほうでもこの時期には皇帝の擁立合戦が起きて、内部での争いに忙しく宋に介入する暇はなかった。六代聖宗は内部抗争を収めて、中央集権を進めた。1004年、再び宋へ遠征軍を送り澶淵の盟を結んで、遼を弟・宋を兄とするものの、毎年大量の絹と銀を宋から遼に送ることを約束し、和平条約を結んだ。これにより、遼と宋の間には100年以上平和が保たれた。

その後は宋から入る収入により経済力をつけた事で国力を増大させ、西の西夏を服属させる事に成功し、北アジアの最強国となった。また豊かな財政を背景に文化が高まり、中国から様々な文物を取り入れて、繁栄は極みに達した。しかし遼の貴族層の中では贅沢が募るようになり、建国の時の強力な武力は薄れていった。また服属させている女真族などの民族に対しての収奪も激しくなり、恨みを買っていた。

女真は次第に強大になり、1115年には自分達の王朝金を立て、遼に対して反旗を翻した。遼は大軍を送って鎮圧しようとするが逆に大敗し、遼弱しと見た宋は金と盟約を結んで遼を挟撃し、最後は1125年に金に滅ぼされた。このとき、一部の契丹人は王族の耶律大石に率いられて中央アジアに移住し、西遼（カラ・キタイ）を立てた。

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         <pubDate>Fri, 05 Oct 2007 18:28:16 +0900</pubDate>
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         <title>エジプト</title>
         <description><![CDATA[「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて世界四大文明の一つである古代エジプト文明を発展させてきた。エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させた。3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、紀元前525年にペルシアに支配され、ペルシア帝国、紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後ギリシア系のプトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。

プトレマイオス朝は紀元前30年に滅ぼされ、エジプトはローマ帝国の属州となりアイギュプトスと呼ばれた。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた。ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属し、豊かな穀物生産でその繁栄を支えたが、639年にイスラム軍の将軍アムル・イブン・アル＝アースによって征服され、ウマイヤ朝およびアッバース朝の一部となった。

アッバース朝の支配が衰えると、そのエジプト総督から自立したトゥールーン朝・イフシード朝の短い支配を経て、969年に現在のチュニジアで興ったファーティマ朝によって征服された。これ以来、アイユーブ朝、マムルーク朝とエジプトを本拠地としてシリア地方まで版図に組み入れたイスラム王朝が500年以上に渡って続く。とくに250年間続いたマムルーク朝のもとで中央アジアやカフカスなどアラブ世界の外からやってきたマムルーク（奴隷軍人）による支配体制が確立し、1516年にマムルーク朝を滅ぼしてエジプトを属州としたオスマン帝国のもとでもマムルーク支配は温存された。

1798年、フランスのナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征をきっかけにエジプトは近代国家形成の時代を迎える。フランス軍撤退後、混乱を収拾して権力を掌握したのはオスマン帝国が派遣したアルバニア人部隊の隊長としてエジプトにやってきた軍人、ムハンマド・アリーであった。彼は実力によってエジプト総督に就任すると、マムルークを打倒して総督による中央集権化を打ち立て、経済・軍事の近代化を進めて、エジプトをオスマン帝国から半ば独立させることに成功し、アルバニア系ムハンマド・アリー家による世襲政権を打ち立ててた（ムハンマド・アリー朝）。

しかし、当時の世界に勢力を広げたヨーロッパ列強はエジプトの独立を認めず、またムハンマド・アリー朝の急速な近代化政策による社会矛盾は結局、エジプトを列強に経済的に従属させることになった。1869年にエジプトはフランスとともにスエズ運河を開通させるが、その財政負担はエジプトの経済的自立に決定的な打撃を与え、イギリスの進出を招いた。1882年にアフマド・アラービーが中心となって起きた反英運動もイギリスによって鎮圧され、エジプトはイギリスの保護国となる。

1914年には、第一次世界大戦によってイギリスがエジプトの名目上の宗主国であるオスマン帝国と開戦したため、エジプトはオスマン帝国の宗主権から切り離された。その結果、大戦後の1922年2月28日にエジプト王国が成立し、翌年イギリスはその独立を認めたが、その後もイギリスの間接的な支配体制は続いた。

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         <pubDate>Thu, 20 Sep 2007 17:28:06 +0900</pubDate>
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         <title>杉並区</title>
         <description>私は大学が杉並にあったので杉並区には思い入れが深いです。今日はそんな杉並区について解説します。

杉並区（すぎなみく）は、東京都の特別区のひとつで、ガーデンゴルフ発祥の地である。

城西地区と呼ばれる東京23区の西部に位置する。面積は34.02平方キロメートルで、東京23区の中では8番目。かつては水田などがあり、自然が豊富な近郊住宅地域として発展してきた。全体的になだらかな高台地域。神田川・善福寺川沿いの低地にも勾配のきつい坂をはない。

大宮一丁目にある大宮八幡近辺が東京都全体の人口重心となっている。

明治大学(和泉校舎)の一帯は、幕末から長く火薬庫があったところ(江戸幕府の和泉新田御焔硝蔵、後に陸軍省和泉新田火薬庫)。

■歴史
1889年5月1日 - 町村制施行により、東多摩郡杉並村・和田堀内村・井荻村・高井戸村が発足。 
1896年4月1日 - 南豊島郡・東多摩郡が合併し豊多摩郡となる。 
1924年6月1日 - 杉並村が町制施行し杉並町となる。 
1926年7月1日 - 和田堀内村が町制施行し和田堀町、井荻村が町制施行し井荻町、高井戸村が町制施行し高井戸町となる。 
1932年10月1日 - 杉並町・和田堀町・井荻町・高井戸町が東京市に編入、4町の区域をもって東京市杉並区が発足。 
1943年7月1日 - 東京都制施行により東京都杉並区となる。 
1947年5月3日 - 地方自治法施行により杉並区は特別区となる。

■独自の施策
アニメーション産業振興。 
2002年3月、レジ袋税条例。同様の法定外目的税は全国初。5年後までに買い物客に占めるレジ袋辞退率60％が達成されれば、課税の実施は見送られる。 
2002年8月、住民基本台帳ネットワークへの接続を拒否（現在は選択制に移行中）。 
2004年3月、「杉並区防犯カメラの設置及び利用に関する条例」。防犯カメラの運用基準を全国で初めて条例で規定。 
2005年8月、杉並区教育委員会が新しい歴史教科書を作る会の教科書を採択(全国の自治体としては二例目)。 
2006年4月、杉並区独自の教員養成塾「杉並師範館」を開設。市区町村では全国初。

杉並区の良いところは食事が安い事です。地域によって全然値段が違いますからね。

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         <pubDate>Fri, 31 Aug 2007 09:11:18 +0900</pubDate>
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